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「パパ、ありがとう」一人働き方改革の限界から始まる家族の奇跡

SSプログラムは、教員向けに、新しいキャリア選択の可能性を見つけるプログラムをご用意しています。

受講生は自分と向き合う4ヶ月を通して、強みや才能、本当にやりたいことが明確になり、希望を持って人生を楽しもうと行動されています。

新川:まずは自己紹介をお願いします!

ーーかじたろさん:住まいは島根県でめっちゃ地方です。

2児の父で、今年小学生になる息子と保育園の娘がいます。

教師2年目で結婚し、3年目で子どもが生まれ、仕事だけではなく家族、子どもとの時間を大切にしたいと考え働き方を変える決意をして少しずつ改善できてきました。

8年間教員をやっていましたが、限界を感じ、2023年3月で退職して現在は教師コーチングをしております。

新川:地方の先生で辞める方って結構勇気がいると思うんですよ。なぜなら働き口が教師以外にないと思ってしまうので。そのあたりも今日は色々とお伺いできればと思っています。

ーーかじたろさん:はい、よろしくお願いします。

新川:かじたろさんが先生になろうと思ったきっかけを、教えてください!

ーーかじたろさん:教育学部に進学したんですが、先生になろうと思ってこの道に進んだわけではなく、なんとなく、教員免許さえあれば安定なんじゃないかなっていう思いからです。

惹かれる先生がいたわけでも、子どもたちのために教員として何か絶対関わりたいという熱い思いがあって教員になったわけではなかったので、

本当になんとなく、教員免許っていうものを手にしようかなというところが教員になるきっかけでした。

教育実習で小学校に行き、5年生を担当させていただき、子どもたちとうまく関係ができて最後は全員大号泣で僕も泣いて……みたいな教育実習だったんですけど、

その時の授業が、僕の中では全くうまくいかなくて、なんかモヤモヤしたまま教育実習が終わったんですね。

そして、大学4年生になった時に中学校に教育実習に行ったんですけど、その時は子どもたちとの関係もうまくいった上で、授業もすこぶるうまくいって、実習先から、「来年からウチにきたらいいよ」って言ってもらえるくらいだったんです。

1か月先に、教員採用試験があったんですが、小学校に実習に行った時のことが忘れられなかったんです。モヤモヤが残っていて、このままでは終われないなと思い、小学校の教師になる決断をようやくしたって感じです。

新川:経緯が面白いですね!うまくいかなかったことが教師になろうと思ったきっかけなんですね。

ーーかじたろさん:そうですね、当時もそれなりに必死にやりましたし、当時の自分の知識は全部込めて一生懸命やってたんですけど、うまくいかず終わり、それを取り返す先がなく、失敗したまんま終わっ たのが凄くモヤモヤしていましたね。

それを取り返したいなって思っ たんです。

授業工程や、子どもたちへの働きかけをやり直したいなって思いました。

そんな失敗もあって、教師になった1年目は、授業のうまい先生になりたかったですね。

上手くやれなかった自分が許せない性格なので、もっとやれるんじゃないか?っていう思いが強くて。

もちろん授業に正解はないと思うのですが、それでも目の前の子どもたちに対して満足してもらえるような授業を自分ができた時に、初めて自分が満足できるから、そこを突き詰めていこうと思っていました。

新川:そういった思いで教員になったんですね。実際に教師になってみてどうでしたか?

ーーかじたろさん:すごくありがたいことに子どもたちとの関係もものすごくよくて、もちろんその背景におられる保護者の方とも、うまく関係性が取れていました。

授業はというと、最初の頃は、小学校なのでいろんな教科をしないといけないかったので上手くいくものもあれば、上手くいかないものもありました。

上手くいく日もあればうまくいかない日もありました。

そこら辺は本当に、反省の毎日だったかなって思います。

ただ、ありがたいことに初任研で来てくださる、いわゆる教育事務所の先生方とか教育委員会の先生方が、たまに見に来てくださるんですけど

初任の割には良くやってるねと認めていただいてたりもして、2年目の時には文科省指定の 授業をやらせていただいたりとか、初任で来た先生に先輩として学級経営をどういうふうにしていくといいのかを、県の代表で講義する機会もいただけました。

1年目から燃えて頑張ったのが、2年目以降もちゃんと見てもらえていたので、そのあたりは、すごくやりがいに繋がっていました。

新川:素晴らしいですね!今の話を聞いていると、1年目からかなり成果も出されていたと思うので教員としての未来も明るく、管理職になり、その上の立場にも行けたんじゃないかと思うのですが、そこから退職を選んだのはなぜなんでしょうか?

ーーかじたろさん:1番のきっかけは、2年目に結婚して、3年目の秋に我が子が生まれたことです。

今までは、学級経営のために勤務時間をはるかに超えて夜10時とか11時とかまで残業するのが当たり前で、日付を超える日もありましたし、それでやりたいことをやってたなって感じです。

でも、やっぱり子どもが生まれると、当然ですが今まで通りという訳にはいかなくなりました。

我が子との時間であったりとか、それこそ、今までは妻に育児を押し付けていたので、妻もストレスがたまりますし、

自分自身も、何のために働いているんだろうと思うようになったりして、

妻にも、

「いい加減、父親にもなってもらわないと困る」

という話もされたことから、

今までの働き方だったり、教員のそもそもの働く環境に対して疑問を持ち始めたっていうのが、自分自身の働き方を見つめ直していくきっかけになりました。

新川:それが3年目4年目って所ですよね。共働きということですので奥様との関係は大丈夫だったんですか?

ーーかじたろさん:けっこうギスギスしてましたね……。

新川:お互いに忙しい仕事をしていたらそうなりますよね。それが3、4年目くらいだったと思うんでが、かじたろさんは、そこから8年目まで続けてるので、そこから 4、5年は、その状態で頑張ってたということですよね。どうやって仕事と家庭を両立していたんですか?

ーーかじたろさん:そうですね、最初は辞めるといった感情はなくて、初めに取り組んだのは、育児と仕事を両立させる方向で物事を考え始めました。

息子の保育園の迎えもあったのでとりあえず迎えに行ける日を増やそうと頑張りました!

かつ、そうしようと思ったら帰宅時間が圧倒的に早くなってしまうので、今までのような学校での働き方だと、その時間には仕事は終えられない。

じゃあ、今までの仕事をそのままそっくり辞めるか、成果はそのまま出しつつ、定時までにやりきるか、という選択になったんですね。

そこで、僕の性格上、やり切らないとモヤモヤするのは教育実習の時にわかっていたので、ここで成果が出せなかったら、働く意義さえなくなってしまうだろうなって思って。

成果を出しながら定時に帰るのを目標に頑張ったのが3年目4年目5年目ですね。

必死にもがき続けました。

どうやったら成果を残しつつ定時に帰れるんだろうって。

結局、週1回か2回ぐらいですかね息子を迎えに行けたのは。

どうしても仕事が残る日がありましたし、家に持ち帰ることもありました。

それでも自分にとってやりやすい仕事の組み方だったり、成果を保証しながら削減できる部分がないかを必死に考え両立の道を工夫していきました。

新川:すごいですね!自分の働き方改革ですね。どうやってそれを実現していったんですか?

ーーかじたろさん:僕がすごくやっていたのは、自分の役割をどうやったら手放せるのか?を考えることです。

特にやってたのが教員がやってしまいがちなことを手放せないか?です。

例えば、極論言うと授業も教員がやってしまってるって考えて、授業って子どもたちがやるものだし子どもたちが責任を持ってやるものだから授業自体を教員がするスタイルを崩してみるのはどうか?

といった、やらないといけないことだったり、そもそもなぜそれをやっているのかっていう元を辿った時に教員じゃなくて子どもたちにちゃんと責任、自覚してやらせないといけないことがあるんじゃないか?と。

学級経営とか、学校経営の中で自分の役割を見ていった時に、本当は結構子どもたちに返せるものがあったんです。

それを子どもたちのあるべき姿に渡していった結果、自分の仕事が少なくなったんですよね。

そしてそれが結果的に子どもたちの成長にも繋がりました。

新川:素晴らしいです!それが一人働き方改革の初期ですよね?そこからさらに退職まで3年ほどありますが、その時はどうされてたんですか?

ーーかじたろさん:そうですね、それが前半です。

後半がまだあります。

新川:後半は理想の生活に向けて働き方をどこまで変えていったんですか?

ーーかじたろさん:基本高学年を持つことが多くて、6年生持つってなると学校経営が関わってくるので、自分のクラスだけの問題じゃなくなってくることがたくさんあったんですよね。

6年生の児童も初めて学校の前に出る時はわからないことが多いので、基本先生が前に立って指示出しするスタイルで過ごすことが多くなります。

それが続いてしまうと、受け身になってしまい答えを全部教員に投げかけてくるようになるんです。

そうすると6年の担任はすごく忙しくなって仕事に追われてしまいます。

だけど、それっておかしいことで子どもたちが物事を自分たちの軸で判断してトライ&エラーすることで、主体的な思考だったり客観的思考やメタ認知的力を、ちゃんと子どもたちができるようにすれば仕事も当たり前に減っていくだろうなって、自分の頭の中に理想があったので、5年目以降はそれができるようにしていきました。

なので、最終的には僕が何も言わなくても、子どもたちが主体的に動き、私を巻き込むのか他の先生を巻き込むのか、その判断もしっかり子どもたちが出来るようになっていきました。

その結果、6年生が学校全体を巻き込んでいくようになりました。

子どもたちが授業も自分たちでするようになってくれたので、私は単元構成も考えなくてよかったし、毎日の授業の教材準備をすることがほとんどなくなっていきましたし、次の日の授業の準備さえしなくてもよくなっていきました。

例えば、理科で実験用具があった時に、普通なら教員が事前に準備するんですが、子どもたちが何のために実験するかが分かってるので、その実験をするために必要な用具を、ちゃんと自分たちで事前に用意してくれるようになりました。

また、学校の校務分掌的な部分も子どもたちに役割として持たせるようにしました。

役割を子どもに与えた分、最初はちょっと 大変でしたが、子どもたちの成長が早くなり主体的になりますし、私たちの仕事も少しづつ楽になっていきました。

そういった、自分だけが得するような働き方改革ではなく、結果的に子どもたちが楽しく主体的に動けるような成長も得ることができました。

私の目指す教育と働き方改革ではそこを目指していきました。

新川:働き方改革の話を聞きましたが、普通に子どもたちにいい話をしてるなって思いました。私も子どもたちが自分で考えるとか、主体的に動くというのは、教育の目指すところだと思います。

生きる力でいうとすごく大事な部分だと思います。働き方改革ってどうやって楽になろう、手を抜こうって思いがちだけれど、でも、かじたろさんは時短だけではなく子どもたちの成長を促して、それが上手くいっていたというのは本当にすごいと思います。

では、働き方改革の後半の施策が上手くいってからは早く帰れるようになったんですか?

ーーかじたろさん:そうですね。7年目、8年目には17時半には毎日帰れるようになりました。

そのあと、迎えに行くのが日課になりました。

ただし、時期的にどうしても難しい時はもちろんありましたけど、その時は妻に頼んでいましたが、それ以外は定時に迎えに行けるようになりました。

新川:素晴らしいですね!でも、働き方改革の結果定時に帰れるようになり、仕事と家庭の両立が出来ているように思えるんですが、そんなかじたろさんが、教員を辞めるという決断に至ったのはなぜなんでしょうか?

ーーかじたろさん:17時半に帰れるようになって、迎えも当たり前のよう に行けるようになったんですけど、やっぱりそれまでの17時半までに仕事も終えて成果も出しきるような形でいると、学校にいるときの8時間から9時間は、気を抜く瞬間って一瞬もなくて、その9時間で超濃厚な時間を日々過ごしていました。

だけど、やっぱりずっと気を張りっぱなしだと、すごく疲れるっていうのは1つありました。

そうなった時に例えば5時半に学校を出たとしても、迎えに行って家に帰るのが大体18時半になるんです。

下の子はまだ小さかったので絶対9時までには寝かしつけようと思っていたので、家に帰ってから、子どもと一緒に過ごす時間って、たったの3時間弱しかないんですよね。

どんなに定時過ぎに迎えに行ったとしても、ご飯も作って、食べさせて、お風呂に入れて、明日の準備をして、着替えたり洗濯したり色んなことをしていくと、子どもたちとゆっくり過ごせる時間って30分もなかったんですよね。

どんなに効率的に定時退勤をしても、子どもとゆっくりと心を通わせるふれあいみたいなものは平日には取れ ない。

では休日は、というと、やっぱり来週の学校のことが、どうしても頭を日々駆け巡ってしまうんです。

そうなった時に、どんなに働き方改革をして効率的に短時間で成果を残せるような働き方をしても、自分がやりたい子育てや、そういう思いを馳せて我が子に関わるというのは、教員であったら出来ないんだな。と思って教員を辞めることを決意しました。

新川:なるほど、時間的な制約が辞める大きな要因の一つだというのは解りました。他には何かありますか?

ーーかじたろさん:これは子育てとはちょっと全然違うんですけど、学校って年序列がすごくて、私が辞める際は、校内で、いわゆる3大主任といわれる研究主任っていうものも持っていましたし、小さい学校というのも有り学校の大半の公務分掌を持っていたんです。

なので稼働しているレベルとか量は学校随一でしたし、合わせてその年は県での研究発表があって僕はその市の代表で発表してたので、成果としても、学校だけでなく市内でも結構なレベルで出してたんですけど、年齢上、僕が1番給料が低かったんですよね。

「さすがにこれは、ねえだろ!」っていうのがやっぱり強くて。

もちろん、全部が全部、子どもたちも違う分ね、成果として現れるものは違うので、全部の成果で判断しろっていう思いではなかったですけど。

そういった成果っていうのが一切抜かれた形で現場で評価されていくんです。

仮に評価制度というのが若干の部分であったんですけど、それでも微々たるものでした。

これだけ、一生懸命に時間も労力もかけて仕事をしても家庭に返すものがないような環境。

せめて給料だけでも成果でくだされば家庭にお金は返せるじゃないですか?それさえも無く、「長く勤めた方が偉い」「50代の言うことが正しい」というのが悪しき習慣だなと僕は感じて、ここに自分が居続けるのは、ちょっと苦しくて無理だなって思ったのが、子育てのこと以外で教員を辞める決断をした一因ですね。

新川:なるほどね、時間以外の部分もすごく理解できました。皆さん誰しも認められたいと思うのは当たり前だし、もらえるものはもらいたいのはもちろんだと思います。ではこの2つが大きなきっかけだったんですね!

ーーかじたろさん:そうですね、この2つがトップ2の辞める大きな原因でした。

新川:ありがとうございます。そういった中で、私のプログラムに入っていただいたと思うんですが、入るきっかけって何だったんでしょうか?

ーーかじたろさん:学生時代にずっとサッカーをやっていて、その時にメンタルがすごく大切だということを知っていたので、コーチングっていうものにすごく興味があって、オンラインのコーチングスクールに通って、コーチングできるような技術は習得していました。

ただ、いざ、辞めるのが間近に迫ってきた時に自分自身がやりたいことって何だろう?

コーチングのスキルを活かしたとしても、一体そのコーチングを「誰の」「どんな課題」とか「困り感」に対して「自分がどんな思いでやっていきたいのか」が、見えなかったんですよね。

コーチングをやろう!と、ずっと進んでは来てたんですけど、結局、蓋を開けた時に技術はあるけどそれを、どう使っていいのかが分からない状態でした。

そんな時に新川さんのプログラムを見つけて、メッセージを見た時に、これは私のことだなってすごく刺さったのを覚えています。

やれることはあるんだけど、やりたいことがわからない。

道具はすごく揃っているんだけど、その道具 を一体何のために自分がどうしたいのかが

分からなくてモヤモヤしていました。

まずは、自分がやりたい方向性とか、やりたいことをはっきりさせた上で、それにコーチングが必要だったら使えばいいし、使えないなら新しいスキルを身につけたらいいなと思い、まずは自分を見つめなおそうと思いプログラムに入りました。

新川:素晴らしいなと思うのが、コーチングをやりたい人達って、今すごく 多いと思うんですけど、コーチングをやるということが目的になってる人もすごく多いなって印象として持っていて、

でもかじたろさんがおっしゃるように私も完全同意なんですけど、やっぱコーチングは1つのスキルであって技術であるから、それを何のために使うかがめちゃくちゃ大事だなと今改めて話を聞きながら思いました。

ーーかじたろさん:ありがとうございます。

新川:かじたろさんが退職される前の1年間くらいで色々と退職後のことを考えられたと思うんですが、そんな状況でかつ、たくさんあるサービスの中で、私のプログラムを選んでくれたのは何でなのでしょうか?

ーーかじたろさん:「やりたいことを見つけるだけ」であればたくさんあったんです。

でも教員からステップアップするとなった時に、教育畑でずっとやっていたので、自分って本当に大丈夫なのかな?という思いを私以外の教員も多少なりとも思ってると思うんです。

自分がまさにそうで、だからやっぱり、先生が抱えている思いに寄り添ってもらえる方のプログラムを選びたいと思ったのが1番大きな理由です。

新川さんが教員出身で僕も教員だったので。

やはり、その繋がりって口で言えば簡単ですけど、同じ教育環境で働いていた人でしか理解できない部分って、たくさんあると思ったのでそこが1番大きかったですね。

新川:嬉しいですね。良くも悪くも教育ならではの世界がありますからね。実際にプログラムに入ってどのような変化を感じましたか?

ーーかじたろさん:もちろん「やりたいことが見つかった」というのはあるんですけど、

その中で、こんなに自分と向き合う瞬間って今までなかったと思いました。

「自分ってこういう風に考えるんだ」

「こういう思いを持っていたんだな」

「自分ってこういう風にやればうまくいくんだな」

というのが分かりました。

自分を客観的に見られるようになったからこそ、自分がやりたいことを自信を持って言えるようになりました。

それも、自分自身が理解できたという土台があって

やりたいことっていう方に向かっていける。

そんな自分になれたっていうところが1番変化として感じたところです。

新川:つまり迷いなく次に進めるようになったってことですかね?

ーーかじたろさん:まさにそうです!

新川:かじたろさんは、働き方改革の時もそうだったように、ゴールが明確になったらそれに向けてぐいぐい行けるんだろうなって思います。やりたいことを見つけて動き始めた前後で、実際に家庭や仕事はどういった状況になりましたか?

ーーかじたろさん:教員をしている時は、自分の子どもの行事には調整をしても行けないことが多かったんですが、今は子どもの行事の時は仕事を休む選択もできるようになったので、気持ちとしても時間としてもゆとりを持ってわが子に接することが出来るようになりました。

また、今の仕事についても、やったらやった分だけ自分の収入にもつながりますので、教員の時にモヤモヤしていた部分はすごくクリアになっています。

新川:そうですね、教員の時は決められたスケジュールをどうやって回すかを考える毎日でしたが、今は自分でスケジュールを組むので選択できる状況ですよね。奥様との関係はどうなったんですか?

ーーそれはもう、とても、良好です!

新川:奥様とも子どもとの関係もすごく良好だと思うんですけど、かじたろさんは今後どのようになっていきたいんでしょうか?

ーーかじたろさん:僕はたくさんの方の助けも借りながら今自分の理想とする暮らしを実現することができました。

これからも、それをずっと実現し続けていきたいなって思ってます。

その上で、教員をされている方で私と同じように苦しんでいる方もたくさんいると思っています。

そんな人が一人でも救われるような活動をしていきたいと思っています。

新川:素敵ですね!かじたろさん自信が活躍することでそういった方たちの希望になるんじゃないかと思います。最後に、このプログラムはどんな人に受けてもらいたいですか?

ーーかじたろさん:今やりたいことは見つかっていなくても、教員としての働き方に苦しいと感じている人がいるのであれば、ここは、自分を見つめなおすことができるプログラムだと思います。

今現状にモヤモヤしている方、自分の今後を真剣に考えたいと思う方には、受けて絶対損はないプログラムだと思うのでぜひ受けていただきたいなって思います。

家族との時間を大切にしたいと思っているパパさんママさん先生も、ぜひ受けて欲しいです。

新川:貴重な時間をありがとうございました。