そんなに稼ぐ必要ある?
教員を辞めた頃の私が目指していたのは
月収20~30万円
その理由は、とにかく教員の月収よりも低くなるのが怖かったから。
周りには
- 月50万
- 月100万
- 月200万
そんなふうに稼いでいる(らしい)人もいるみたいだったけれど、私は20~30万収入があれば生活ができると思っていたので、『そんな高望みしちゃいけないな〜』と、思っていました。
ところが、正直なことをいうと、潜在的にも「私がそんな稼げるわけない」と自分を信じることができなかったし、自分の能力もわかっていなかったのだと今は思います。
ちなみに、上記で、そんなふうに稼いでいる(らしい)と書いたのは、世の中には、SNSで「月商7桁!」と書いてあるのに稼げていない人がいるんですって。
稼げていないのに権威性を見せるために「嘘を言ってよい」と教える起業塾があるとか。
(いや、本当に怖い。)
話がそれましたが、当時の私は「自分の生活のために」20-30万を稼ぐことを最初目指していて、それで十分だと思っていました。
それがある時、ある人の話を聞いて新しい視点をもてるようになりました。
その方は、やりたいことで売上を伸ばそうとしていました。
目指していることは売上ではありません。
でもやりたいことをやろうとすると売上も関わってきます。
なぜそんなに金銭的にも余裕をもちたいのか?
そんな話になったとき、その方は、自分は〇〇(ある活動をしている団体)の活動が世界に広がればいいと思っている。
それは、それが広がることで多くの人が幸せになると思うから。でもその〇〇は資金繰りに困っているらしい。
自分はその中に入って活動はできないけどそこが活動できるように金銭的な支援をしていきたい。自分が稼ぐ理由はそこにある。と。
私はそのときにハッとさせられました。
私は「自分が稼ぐ」となったとき「自分の生活」しか考えていなかったなと。
稼ぐ=私利私欲
当時の私もそうでした。別に贅沢なんてしないから、20-30万でいいやと、思っていた自分に気づきました。結局、自分のことしか考えてないなかったのです。
私の視点には、
「月100万稼いでいる人ってさぞかし贅沢しているんだろうな」
「年1000万いっている人はいいもの食べて、いい服きているんだろうな」
しかありませんでした。
つまり、「贅沢するために稼ぐ」です。だから、私は贅沢したいわけではないので、稼がなくていいや、と思っていたんです。
世の中には、金銭的支援や、ボランティア活動で助けたい人を助けている人がいます。
他方で、困っている人を助けない人生もあります。
自分の人生だけ考えて、自分が幸せならそれでいいとも思います。
でも、私の考えとして、人の幸せや幸福度って
「どれだけ人に貢献できたか」で変わると思うのです。
もちろん「貢献」とは金銭的だけではなく、他でも貢献できることってあります。でも、自分の生活も確保して、周りの人に貢献しようとすると、やっぱりお金が必要です。
今私が目指しているのは、月20-30万の世界ではありません。
私は、自分が助けたい人を助けながらちゃんと稼いで、貢献したいことがあります。
それが「教育事業」です。だから私は、同じような思いの人を助けながら、自分も収益を上げて、そしてお客さまにも自分を満たしながらお金を稼いでほしい。
お客さまが満たされた先には、また違った貢献をしたくなると思うから。
ですので、私利私欲のために稼いで
「自分だけ幸せになればいい。」
「自分だけ贅沢できればいい。」
という方は、私のお客さまにはいないと思っています。(断ります)