歯が4本かけて、初めて気づいた。「やめる」という発想すら浮かばなかった中学校理科15年の教員の話
バタタさん(埼玉県・43歳・中学校理科15年・令和6年度末退職)
埼玉県の公立中学校で理科を15年間教えてきた バタタさん(43歳)。国際協力への思いを持って大学時代を過ごし、民間企業を経て教壇に立った。育休復帰後の限界状態でも「やめる」という発想が浮かばないほど走り続け、無意識の食いしばりから、歯が次々に欠けた。体のサインが転換点になり、SSプログラムを通じて自分の原点と向き合った。今は不登校支援のスペシャルサポートルームで非常勤として働きながら、農業と食べることを組み合わせた「こころと身体を整えながら、ほっとできる場所」づくりというビジョンを持って進んでいる。
国際協力の夢から、教育の道へ

— 新川:
教員を目指したきっかけを教えてもらえますか?
— バタタさん:
元々は国際協力がやりたくて、大学時代にスタディーツアーやNGOの活動に参加しました。ただその中で、自分が現地で働くという、1人の力よりも、教育の現場でより多くの子どもたちに伝えていく方が大きな力になり、未来に繋がるのではないかと思うようになって。青年海外協力隊の参加に有利になるという言葉から、安易に教職を取り始めたんですが、結果的に教育の魅力にたくさん触れ、そちらに進んでいきました。
— 新川:
中学校を選んだのはどうしてですか?
— バタタさん:
迷わず中学校でした。自分が中学校の時に、今でいう、自己肯定感がものすごく低く、何もかもモヤモヤしていた時期がありました。その多感な時に、自分を立ち上がらせてくれるような先生がいたので、自然と中学校と決まった感じです。
— 新川:
大学卒業後すぐには教員にならなかったんですよね。
— バタタさん:
教育に対して熱い思いを持ち、活動されている方達と大学の夜間講座で学んでいたのですが、いざ実習に行ったら職員室がすごく閉鎖的に感じられて、そのままここに入っていくことに違和感がありました。一旦社会に出てみようと思って民間企業に就職しました。ただ子どもや教育と全く離れた職場だったので、寂しさをすごく感じて、結局教員の道に進みました。
「自分が中学生の時に悩んでいた時に、立ち上がらせてくれた先生がいた。だから中学校、と自然に決まりました」
育休復帰後の限界——「やめる」という発想さえ浮かばなかった

— 新川:
15年間で一番しんどかった時期はどんな状況でしたか?
— バタタさん:
育休明けで担任になった頃です。理科は教員の数が少なくて毎年担当の授業時数が多くなりやすいんですが、自分の子どもが6歳と2歳、担任を持ち、週の空き時間が3コマという年がありました。担任クラスに戻ると、不機嫌な顔をしていたと思います。子育てもめちゃくちゃ。保育園の先生にものすごく助けてもらい何とか過ごせていました。時が過ぎていただけという感じです。
— 新川:
その時、やめようとは思わなかったんですか?
— バタタさん:
やめるというアイデアが全く浮かんでこなかったんです。子ども達と学ぶことや関わり、教育はとても楽しく、物理的に辛かっただけなので。来年は楽になるだろう、来年こそはと思い続けて、でも一向に教員数は改善されず。その頃から無意識に歯の食いしばりをしていたようです。奥歯が次々に欠けていきました。歯科医に行って初めて、ものすごく噛み締めていると言われて、ただ、日々やるべきことをどうにか、頑張っていただけなのに、どうしてこうなるのかと悲しくなりました。
「歯が4本欠けて、初めて気づいた。来年こそ、不足分の教員が来てくれるとずっと思いながら、体はずっと限界のサインを出していました」
SSとの出会い——退職を決めた後に、自分を知るために
— 新川:
SSを知ったきっかけと、受けようと思った理由を教えてもらえますか?
— バタタさん:
やめることを決めた後に出会いました。インスタでさよさんの言葉がしっくりきて、分かってもらえるという感覚があって。退職後に何をするかは全然決まっていなくて、求人サイトに登録してちょっと見ていたくらいでした。自分を知るためにも受けようと思いました。
— 新川:
退職を決める際、家族にはどう話しましたか?
— バタタさん:
家族会議をして、OKをもらいました。私がSSで楽しそうにやっていたのを子どもたちも見ていたみたいで、すごく応援してくれました。息子が中学生になって「将来はこうしたい!」と言い出したりして、なんか明るい展望を一緒に持てている感じがしています。
プログラムで響いた「人生の棚卸し」
— 新川:
プログラムで一番印象に残っていることは何ですか?
— バタタさん:
まず人生の棚卸しがすごく大きかったです。なぜ教員になったのかというのも改めてはっきり分かりましたし、自分の自信の無さの原因や、実は長く引きずっていた心の傷のようなものも分かりました。あと後半の好きなことをたくさん書くワークで、”好きなことをやっていいんだな”と自分に許可が下りたようで、もう嬉しくてルンルンしながら進めていました!
— 新川:
SSを受けていなかったら今どんな気持ちでいたと思いますか?
— バタタさん:
怖さと自信のなさは常にあったと思います。こんなにまっすぐ楽しく毎日進んでいくことはできなかったかなと思います。
「好きなことをやっていいんだなって、もう嬉しくて嬉しくてルンルンしながらワークをやっていました」
退職後の今——不登校支援と、農業×食のビジョン

— 新川:
退職後はどんな日々を過ごしていますか?
— バタタさん:
毎日知らなかったことを知ったり、会えなかった人に出会ったりしてすごく楽しいです。4月からは小学校の不登校の子たちのスペシャルサポートルームで非常勤として働かせていただいていて、子どもたちの表情がみるみる変わっていくのが嬉しくて。子どもたちのために頑張っている先生たちと一緒に時間を過ごせているのも大きいなと感じています。あと、自分の畑を始めました。
— 新川:
これから作りたい場所についても聞かせてください。
— バタタさん:
ずっと教育相談にも関わっていきたいと思っていて、それと食べることがものすごく好きなので、食べることを通して日常のしんどさをほっと忘れられるような場所を作りたいんです。有機農業も学んでいるので、畑で収穫をしてもらい、皆でワイワイごはんを作って、一緒にお話ししながら食べられるような場所を作りたいと思っています。疲れた子どもたちや親御さん、教員の方にも来てもらえるような場所にできたらと思っています。
「農業と作ると食べるをセットにした、日常のしんどさをほっと忘れられる場所を作りたい。疲れた子どもも、先生も、来てほしいです」
体が限界の先生へ
— 新川:
体に限界のサインが出ている先生たちへ、一言いただけますか?
— バタタさん:
とにかく頑張りすぎないでほしいです。学校は動いていくので、必要以上に力みすぎなくて良かったのだと気づいたことを伝えたいです。本当に自分の好きなこと・やりたいことが明確になると、自然に進むべき道が見えてきました!とも言いたいです。何か助けになることがあれば関わっていきたいなと思っています。
「頑張りすぎないで。学校はどうにかなります。そして、道はありますよ」
バタタさんは、Instagramとnoteでもさまざまな情報を発信されています。
日々の気づきや経験を綴った投稿は、同じように悩む方やこれからの働き方を模索している方にとって、きっと参考になるはずです。ぜひ覗いてみてください。
https://www.instagram.com/cocokara_issyoni?igsh=Y25qZjkyZmgwYWtz
📝 note
https://note.com/lucid_yarrow7053
編集後記
バタタさんのインタビューで一番刺さったのは、「やめるというアイデアが全く浮かんでこなかった」という言葉だ。歯が4本かけるほど噛み締め続けていても、やめるという選択肢すら頭になかった。それほど深く教員という仕事にどっぷりと浸かり、走り続けていたということだと思う。
国際協力への思いから教育に転じ、民間企業も経験した上で教壇に立った バタタさんのキャリアは、最初からぶれない軸があった。「人の心と心が繋がる瞬間」への愛着が、15年間を支えていたのだろう。
農業と食を組み合わせた「ほっとできる場所」というビジョンが、とても バタタさんらしいと思った。疲れ果てた子どもたちや先生たちが来られる場所。その発想が、自分自身がかつてギリギリで走り続けた経験から生まれているのが伝わってくる。
取材・文:新川(Re-Career株式会社 代表取締役)
